Galaxyの歴史①|乾物屋から始まり、携帯電話15万台を燃やすまで

ダイヤル式の黒電話
  1. 携帯販売コラム
  2. 携帯販売
  3. 端末・デバイス・ガジェット
  4. Galaxyの歴史①|乾物屋から始まり、携帯電話15万台を燃やすまで

Galaxyの歴史①|乾物屋から始まり、携帯電話15万台を燃やすまで

品質は、
燃やして手に入れた。

THE HISTORY OF GALAXY | 第1部

「他社と何が違うんですか」
そう聞かれて、答えに詰まったことはないでしょうか。

スペックは調べれば出てきます。調べても出てこないのは、そのメーカーが何を捨ててきたかです。

今日お伝えしたいことは1つです。サムスンは、品質で一度死にかけた会社です。

1995年、この会社は自社の新品の携帯電話を15万台、社員2000人の目の前で燃やしました。

なぜそんなことをしたのか。
そこに、店頭で使える話がまるごと入っています。

この記事は、携帯販売の現場でGalaxyを扱う方に向けた3部作の第1部です。年号は覚えなくて構いません。持ち帰るのは1995年の1つだけです。

音声で聴く18分13秒

この記事の内容を、2人の会話で解説します

AIが記事を読み解いて対話形式にした音声です。話しているのは実在の社員ではありません。

サムスンは、電機メーカーとして生まれていない

創業は1938年。場所は韓国南部の大邱(テグ)。創業者は李秉喆(イ・ビョンチョル、1910〜1987)

開いたのは「三星商会」という商店です。元手は家族から受け取った3万ウォン。扱っていたのは乾物と野菜、そして麺でした。

半導体でもスマホでもありません。食べ物です。

社名の「三星」も、そのまま「三つの星」という意味です。壮大な技術思想ではありません。

最初は、日本のメーカーに教わる側だった

サムスン電子ができたのは1969年1月。同じ年の12月、日本の三洋電機・住友商事と合弁会社をつくります。

そして1970年、白黒テレビの生産を始めました。

自前の技術で立ち上がったのではありません。組んで、教わって、覚えたのが始まりです。

のちに世界一になる会社が、50年前は完全な後追いでした。

1938 大邱で商店として創業 乾物・野菜・製麺を扱う 1969 テレビの生産を始める 日本メーカーとの合弁で 1988 初の携帯電話 SH-100 国内はモトローラが9割 1993 フランクフルト宣言 量から質へ舵を切る 1995 不良品15万台を焼却 社員2000人の目の前で 2009 Galaxy 誕生 ここから第2部
覚えるのは1995年だけで足ります。

初めての携帯電話は、自国でも選ばれなかった

最初の携帯電話「SH-100」を出したのは1988年、ソウル五輪の年です。

当時の韓国市場は、モトローラが9割以上を握っていました。

自国メーカーなのに、自国で売れない。これが数年続きます。

会社を変えたのは、洗濯機のフタだった

1987年、創業者の死去にともなって李健熙(イ・ゴンヒ)が会長に就きます。

あるとき、彼は自社工場を撮った映像を見ました。

洗濯機のフタの寸法が合っていない。作業員はナイフでフタを削り、無理やりはめ込んでいました。

問題は、削っていたことではありません。それが、その現場の日常だったことです。

1993年6月7日、李健熙はドイツ・フランクフルトのケンピンスキーホテルに、幹部ら約200人を集めます。

妻と子ども以外、すべて変えろ。

数を追う経営から、質を追う経営へ。のちに「新経営」と呼ばれる方針転換です。

言葉では変わらなかった。だから燃やした

ところが現場は変わりませんでした。

1994年、発売を急いだ携帯電話の不良率は11.8%

9台売れば、1台は動かない計算です。10人接客して、1人にハズレを渡す。店頭に立ったことがある人なら、この数字の怖さが分かるはずです。

李健熙が年始の贈り物として配った自社の携帯電話が、そもそも動かなかったという話も残っています。

1995年3月、亀尾(グミ)工場。社員およそ2000人が集められた広場に、不良品の携帯電話15万台が積み上げられました。

「品質確保」と書かれたハチマキを巻いた10人が、ハンマーでそれを叩き壊します。そして、火をつけました。

大企業だから捨てられたんだ。そう思う人もいるでしょう。違います。

当時のサムスンは、自国の市場を9割モトローラに取られていた側です。捨てる余裕のある会社ではありませんでした。

1993年6月7日 宣言する 妻と子ども以外、すべて変えろ 1995年3月 燃やして見せる 15万台をハンマーで壊す その年 韓国で首位に立つ 前年4位からの逆転 宣言では変わらなかった。壊して初めて変わった
2年かけて、会社の性格が入れ替わりました。

この年、サムスンは韓国国内のシェアで前年の4位から首位に立ちます。

アニコールが売っていたのは、性能ではない

1994年、サムスンは携帯電話に「アニコール(Anycall)」という名前をつけます。

スローガンは「韓国の地形に強い」。

山が多く電波が届きにくい国で、どこでもつながることを正面から出しました。

李健熙は、ボタンの並びにまで口を出したと伝えられます。通話ボタンと終了ボタンを上に持ってこい、と。

会長が、キーの位置を指示する。それくらいの距離まで現場に降りていたということです。

ここは、そのまま店頭の話です。
お客様が気にしているのは、カタログの数字ではありません。自分の生活で困らないかどうかです。

今日のまとめ

  • サムスンは1938年に食品を扱う商店として始まった。電機は後から覚えた
  • 1993年の宣言では現場は変わらず、1995年に15万台を燃やして初めて変わった
  • 品質は、スペックではなく「一度失敗して作り直した」という事実で伝わる

サムスンは、品質を宣言で手に入れていません。
燃やして手に入れました。
その会社の端末が、いまあなたの店頭に並んでいます。

第2部では、そのGalaxyを実際につくった人の話をします。
名門大学から新卒で入った人ではありません。

TODAY'S ACTION

「サムスンって韓国の会社でしょ?」への返しを、2文だけ用意する

次にそう言われたら、この2文を使ってください。「はい、韓国のメーカーです。もともとは1938年に食品を扱う商店から始まった会社で、1995年に自社の不良品15万台を社員の前で燃やして、品質をつくり直した歴史があります」。出勤前に声に出して3回読んでおくと、その日のうちに口から出ます。

Galaxyの歴史(全3部) 第1部乾物屋から始まり、携帯電話15万台を燃やすまで(この記事) 第2部Galaxyをつくったのは、エリートではなかった 第3部折りたたみとAI、そして店頭の言葉に変える